もみの木と「こどい」

根っこ部分大きくて積めません。

本日の薪は「もみの木」でした。
先日と同じ人から連絡あって、「もみの木だけどいる?」
こんな時、「う~ん、堅木じゃないよな、針葉樹かぁ、どうしよう」なんて思ってはいけません。いただけるものは拒まずです。

枝が多いです。
そんなに多くありません。

もみの木一本なので多くはありませんでした。
軽トラ一台分、チェンソーで玉切りにして軽トラに積み込んで帰ってきました。
これは午後の話、

午前中は先日の薪をチェンソーで玉切りしました。
今回は細い木が多いので、簡単な玉切り台を作ってみました。
以前濡れ縁に使っていた木材を半分に割って、それをクロスにして三つを垂木でつないで固定しました。
まっ、ほんと適当です。少し改良(間隔の調整)が必要ですが、ぼくのことだからいつかやるでしょう。

玉切り台

玉切りは家内が台に載せる係りをやってくれたので、一時間ほどで全部終了しました。
やはり、仕事は段取りとこどい(サポート)ですね!
息のあった作業で玉切りも、もみの木運びも順調に終わりました。

本日のもみの木
午前中にやっつけた玉切り

鹿児島弁で、手助けのことを「こどい」といいます。
手助けって書きましたが、手助けでもかなりレベルの高い人がすることを「こどい」といいます。
まっ、ぼくはこう思っているんですが、ひょっとして違うかもしれません。
ちょっと自信ありませんので間違っていたら悪しからず!

4件のコメント

    1. 流れのようなものがあって、周りに声(薪〜まき〜ほしい〜)をかけて自分達はちょっとづつでも動いていると、薪の流れが近づいてきます。

  1. のんびーさん
    のんびーさんのホワイトマム嫁様へのコメントの中に、のんびーさんの人生観が出ているような気がします。一見、日本昔話のような語り口ですが・・・
    のんびーさんの姿勢、私は好きです。
    もちろん、のんびーさんの他に、薩摩には、島津斉彬公や西郷どん、大久保一蔵、小松帯刀、時代を419年遡って、島津義弘公、薩摩にはキラ星のごとく全国ネットの方がいらっしゃいます。
    特に、私の住まいは関ヶ原の合戦場に近いので、石田三成側の敗戦が見えた時、敵兵のど真ん中を堂々と切り結んで突破され、見事、薩摩の地を踏まれた島津義弘公は、肝の座った勇将だと思います。
    歴史にたら、ればは無いそうですが、島津公が合戦の指揮をとっておられたら、歴史は随分変わっていたことてしょう。
    ちなみに、島津公の陣跡は石田三成の布陣した笹尾山に近い場所にあります。
    今でも、島津の特徴ある○に十文字旗が陣跡に旗めいています。

    1. 巣箱の焼印を作る時、どんなマークがいいか色々考えました。
      鹿児島の蜂飼い、ならば丸に十文字だろう!とまず浮かびましたが、
      恐れ多くて、今の「巣箱に「の」の字」にしました。
      カピバラさんの近くに島津の○に十文字旗が旗めいているんですね!

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